初めまして!現役パイロットのソラマルです。
私は30代で台湾在住。
TQQQをメインにFirstrade証券を使って主に米国株に投資しています。
ここでは私の経歴から投資歴まで、かなり詳細にご紹介したいと思います。
経歴
今思えば運動しかしてこなかった学生時代。私はこんな学生でした。
小学〜中学時代
千葉県のとある田舎で育ち、学生時代は、まーーーったく勉強しませんでした!
小学生の時は近所の公園で朝から晩まで遊び、中学は地元の中学校。
とにかく勉強が嫌いで、特に嫌いな数学はテストで15点を叩き出すなど、学年成績は158人中153位という悲惨なものでした…。
部活はバレーボール部に所属し、県大会で優勝するなどして実績はあったので、運動さえできればいいやという考えでした。
高校時代
とある高校から部活の活躍により声をかけてもらっていたので、中学の受験シーズンになっても全く勉強をせずに高校へは推薦で入学。その為受験勉強というものを一切せずにそのまま高校へ。
高校時代は、部活、部活、部活の毎日。全国的にも有名なスポーツ校なので、毎日が非常にハードな練習でした。ここで人生の基礎となる鋼の精神を鍛えられた気がします。
当時、体育館には”文武両道” がデカデカと掲げられていましたが、学校自体がスポーツで結果を出せばいいという風潮だったので、勉強は全く重要視されていませんでした。そのため卒業するまでにbe動詞が何かわからない生徒なんて無数にいました。
部活では最終的にインターハイ、春高バレー、ともにベスト16という成績で終わり、この先の人生をどうするか考えた時、俗にいう”一般的なサラリーマン”にはなりたくないと思っていました。
どうせなら難しくてもやりがいがある仕事にチャレンジしたいと思っていました。そこで、昔から飛行機に乗るのが大好きで、空の世界に憧れがあったということでパイロットを目指すことに決めました。(”高収入で、大勢の美しいCAに囲まれて仕事ができる”といった不純な動機が少なからずあったことも素直に認めます。勿論、数ある動機の中の小さな1つです…。)
当時、私の周りの反応は皆一様に、「パイロットなんて絶対無理に決まってるじゃん」といった感じでした。そういった反応を見るたびに、”よし、絶対になってやろう”といった強い気持ちが湧いて来ました。
私にとっては今まで経験してきた部活での経験が辛すぎたので(当時の強豪校では体罰なんて当たり前の時代でした)、それに比べれば勉強なんて誰かに怒られるわけでもなく、ただ椅子に座ってひたすらやればいいだけの話なのだから、なんて楽なんだろう。そんな感覚でした。
そして部活を引退してからしばらくは、解放された嬉しさから好き放題遊び、いよいよ受験シーズンということで”いっちょやってやるかー”と、思い腰を上げて人生初の受験勉強をするわけですが、パイロット養成コースがある大学への出願資格にはセンター試験の他、身体検査、TOEIC450点が必要とあり、勿論TOEICなど受けたこともない私は必然的にこの時点で浪人が決定しました。(笑)
浪人生時代
全く勉強をしてこなかったので、自分が普通に勉強しても周りの受験生に勝ち目がないことは分かっていました。ましてやパイロットを目指すような学生達と、合格枠をかけて受験競争に勝ち抜かなければならないわけです。当時はおよそ4倍ほどの倍率でしたが、なんせゼロからスタートの私はその時点で周りの学生と比べ大きなハンデがありました。
どうすれば“合格”できるのかということだけに焦点を当て、1年間の浪人生活がスタートしました。
全く勉強をしてこなかった私が、1年間の浪人生活を経てどのようにして合格を勝ち取ったかについては、こちらの記事で書いているので興味ある方は是非ご覧ください。
無事に希望するパイロット養成コースがある大学へ進学し、
ここから夢であるパイロットになるために勉強漬けの毎日が始まりました。
大学生時代
1クラスは50名ほど。年齢も下は17才の現役生、上は既に社会経験のある30才など、異色なメンバーの集まりでした。しかし、みんなパイロットになりたいという同じ志をもった同期です。(中には不純な動機の者がいようが “目標”は同じです…。笑)
航空の専門分野に加えて、一般教養までこなさなければならない。更には、1年目にTOEFL ibtで一定のスコアを取らなければ留学することができないという、非常に過酷な1年目でした。
高校まで勉強をしてこなかったツケがここで大きく回ってきました。航空専門分野でも、ある程度の一般知識はあることが前提で授業が進んでいきます。しかし、私の場合は数学の応用の前に、まずは算数から。まさにそんな感じでした…。
そんな中でも、同期の仲間に助けてもらいながらコツコツとこなしていきました。偏差値70クラスの仲間がたくさんいたおかげで、わからないことはすぐに解決でき、支えられながら無事に乗り切ることができました。
気持ち的には、サッカーしかしてこなかった人がいきなり野球の試合に出るといった感じでしょうか。(表現が運動脳ですみません。)
米国留学
無事に英語の要件も満たし、晴れてアメリカのノースダコタという所へ約1年半ほど航空留学しました。
朝から晩まで訓練ができる最高な環境ではありましたが、カナダとの国境沿いに位置するノースダコタは冬の最低気温が-40℃。夏は快適ですが、冬は凍える寒さでした。
米国での訓練は楽しい反面、試験に二度落ちてしまうとFailとなってしまい、帰国しなければならないという厳しいプレッシャーの中での訓練でした。一人、また一人と同期が去っていくのを間近で見るのは辛いものがありましたが、周りの仲間に助けてもらいながらなんとか無事に訓練を乗り越え、ライセンスを取得しました。
帰国後〜そして現在
日本へ戻った後は、残りの課程も無事に修了し、いよいよ就職活動。
無事に某航空会社から内定を頂きました。
一緒に入学した50人の同期の内、途中訓練での脱落や、その後の採用試験等、無事に内定をもらえたのは約40人程。更には航空会社へ入社後も、パイロットとして乗務するには各会社ごとに定められた試験を突破しなければならず、まさに厳しい世界です。
この他にも、毎年シュミレーターを使っての審査、実運航での路線審査、航空身体検査、英語能力試験など、パイロットになるのと同じくらいなった後も資格を維持するのが大変な仕事です。
その後、日本で数年経験を積んだ後、3年前に台湾の航空会社へ移りました。
日本では小型機ということで国内線のみでしたが、現在は大型機を飛ばし長距離路線をメインに世界中を飛び回っております✈️